くそにっき

くそやろうが自制するためのにっき

全ては書くことで色々解消するんではないか

 

私はコミュニケーションが苦手。

もう、それは幼少期から。何故だろうと何回も原因を考えても、全然解決に至らずいつも孤独を感じる。

上手に周りとあわせられず、焦って話したり自分を知ってもらいたい見てもらいたいという欲をだしては失敗し、ひどいときは人を傷つける。

 

一時期はもう孤独で生きていようと決めたりもしたけれど、やはり他者との関係を築くのも必要だという考えに落ち着く。

 

 

今まで私には友達がいない。

まず、友達の定義を考える。

私の中の友達はなんでも話せて、どこでもすぐ一緒にいけて、困った時は助ける。言葉にすると普通だけどその1つ1つに求めるレベルが高かった。

なんても話せる→本当になんでも。自分の隅から隅まで知って受け入れてほしい

どこでもすぐ行けて→めちゃくちゃどこでも。しかも私の行きたい所、

困った時は助ける→命まで助けるレベル

 

ここまで分析して思う。

期待しすぎで、重すぎて、やばい

これを根底にもってたから人とのコミュニケーションをとるときに、ぎこちない。要は求めすぎているし、わがまま。

そういう、欲求は自分で解決しないといけない。と気がつく。

私の感情や考えを認めろとばかりに話しても誰も楽しくない。それは自分で処理する。こんなふうに独りよがりに語る。それだけで、話す時に相手の話をちゃんと聞ける。相手は何でもかんでものアウトプットの場ではない。よく人の話題を自分の話題にしたがってたが、それは自分のアウトプット欲を消化してないからだ。だから、頭に浮かんだ考えや感情は極力、携帯メモやノートに書き出す。それだけでいい。

 

行きたい所も書き出す。やりたいことも、1人で本当に行けないか?それを確認する。人が必要な時は誘う。でも、なんだろうか。私が行きたいからというのを伝える。そこに執着しない、だって理由は私が行きたいから。人のせいにしない、私がそうしたいから誘ったと自覚する。相手は寂しさを埋めるクッションではないし自分を楽しませてくれるおもちゃでもない。それを本当はもっと早く理解しなければ行けなかったのに。今まで傷つけてしまった人達ごめんなさい。

 

そして、問題にぶつかり、助けが欲しい時もノートに書き出して整理する。何が必要か。それは相手が必要なのか、1人で出来ることか。相手が必要であれば具体的に自分は何が欲しいか等。自分のわがままを聞いてくれるとかを、助けと勘違いしないようにもする。私はそこを勘違いしがちだった。自分のケツは自分でふく。それを人にしもらいたいと本当に愚かに思っていたし、そういうことをしてくれるのが友達だとか、思っててまじでクソ野郎だった。

ほんと、今まで関わってくれた人々ごめんなさい。求めて求めて、わがままに当たって勝手に自分で拗らせ孤独になっていった。全ては、私のお子ちゃまな考え方。本当、気がつくの遅いわ…って感じ…

 

あと、私は勝間和代さんの利他心についての動画に感銘を受けた。損得ではなく、自分の出来る範囲で相手を助けていく。人からもらうより、常に自分から相手へ。

あと最後に人間は多面的だということも忘れない。1つだけで全てを判断しない。私も多面的。この場では話すほう、この場では聞き役、この場ではおちゃらけ、この場では大人しい。どんな自分があってもいい。全て同じテンションやキャラでいなければいけないという思い込みは捨てる。そうではなく、常に相手に敬意を払い傷つけないということを一貫させる。テンションやキャラじゃない。相手に敬意を。そして相手の見えない裏側があるということも理解する。人は、人の数だけ性格も考えも違う。それを意見交換するのがコミュニケーション。相手を従わせようとか、何とかしてもらおうとか期待や欲望をぶつけてはいけない。そういうものは自分で消化させる。人との、会話はインプットとして考える。